2009年01月05日

私のラジオデイズ61

新年早々、重たい話で恐縮ですが、
去年の話の続きをしましょう。

米軍機墜落事故、日航機クアラルンプール
墜落事故と続いて、航空報道一色となった
1977年9月27日が終り、翌28日になると
今度は、インド上空でハイジャック事件が
発生しました。

1977年9月28日、パリのシャルル・ドゴール
国際空港を出発し、羽田空港に向かっていた
日本航空の472便(DC-8-62型)が、
経由地のインドのムンバイ空港を離陸した直後、
武装した5人の日本赤軍グループに乗っ取られた
のです。

日航機はバングラデシュのダッカ国際空港に
強行着陸し、犯人グループは乗客乗員151人の
人質の身代金として16億円と、日本で服役中の
メンバーら9人の釈放を要求してきました。

そして、要求が受け入れられなければ、人質を
順次殺害すると警告したのです。

当時の福田赳夫総理は、「人命は地球より重い」と
述べて、犯人グループの要求に応じることを決意し、
身代金とメンバーなど6人をダッカに輸送しました。
いわゆる「超法規的措置」というものです。

日本政府が犯人グループの要求に応じて、
拘留メンバーを釈放したのは1975年の
クアラルンプール事件以来2回目となります。

事件は人質全員が無事解放され10月3日、
アルジェリアのダル・エル・ペイダ空港で
終結を迎えます。

犯人グループと機体はアルジェリア当局の
管理下に置かれました。

9月27日の米軍機墜落事故以来、連続した
航空事件で、報道情報センターの活躍が
社に認められ、報道情報センターに対して
社長賞が贈られました。

しかし、この社長賞の賞状は一度として
報道情報センターの部屋に飾られることは
ありませんでした。

理由は様々ですが、事件の当事者のことを
思うと、晴れやかな気持ちにはなれなかった
というのが、部員たちの偽らざる心境では
なかったかと思います。

陽の目を見ることがなかった賞状は、いま
どうなっているのでしょうか?

それにしても、重大航空事故が連続して発生する
ケースは過去に何度かありますが、3つも
重なるケースは、長い報道生活の中でも
この時だけです。

航空報道は事故や事件をセンセーショナルに
取り上げるのではなく、「失敗に学ぶ」という
視点に立って、伝えるべきものだと思います。

同じ過ちを繰り返さないこと、そのためには事故の
検証をきちんと伝え、それを今後の事故対策に
どう活かすのかに言及して初めて完結するもの
ではないでしょうか。

新年早々、重たい話になってしまいましたが、
次回は軽めの話題にしましょう。

| 11:42 | コメント(1) | カテゴリー:田中穂蓄

コメント

田中さん、大変遅くなりました…
田中さん、この時は、3つも航空機事故が立て続けに起こったのですね…
お話をお伺いしていますと、確かに社長賞の賞状は、掲出しない方がいいかもしれませんね…
被害者の方々の心境を慮りながら、心の中に賞状を掲げるのがよいのではないでしょうか…

投稿者 ちなみん : 2009年1月 7日 21:40

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