2008年10月26日

私のラジオデイズ52

まさに「風前の灯」となっていた、日本初の
民間FM放送局「FM東海」は、それまでの
実績や多くのリスナーの支援もあり、
かろうじてその灯を消さずに放送を続けていました。

今回も、FM東京開局直前のお話です。

東京に新しいFM局を設置するとの方針が
正式に打ち出されると、様々な業界から
放送局を立ち上げたいとの声が上がりました。

その数は数百社に上り、これを1本化するのは
不可能とも思える数でした。

こうした状況からFM東海にすんなりと事業免許を
与えるわけにはいかない事情もありました。

FM放送が新しい放送ビジネスとして有望だと
言うことは、それまでのFM東海の実績をみれば
明らかでした。

家電業界を始として運輸業界、建設業界、
サービス業などが有力企業として絞り込まれ
ましたが、それでも1本化は困難を極めました。

こうした現状から、郵政省は1968年12月26日に
FM東海に対して実験局の再免許を交付しています。

この再免許は、翌1969年12月19日にFM東京に
予備免許が交付され、翌1970年4月25日に
本免許が交付されるまで、再、再、再延長される
ことになります。

さて、FM放送局の1本化が暗礁に乗り上げると、
「政治決着」という奥の手が使われることになります。

「不法電波」をいつまでも放置していくわけにもいかず、
かといって、郵政省としてもFM東海の実績を無視
できなくなり、ついに、FM東海の資本参加という形で
決着が図られました。
1969年12月19日のことでした。

この日、郵政省は新しいFM東京に予備免許を与え、
FM東海はFM東京に吸収される形でその使命を
終えたのです。

その条件として、FM東海が実験で培ってきた放送技術や
営業手法を認め、FM東海の従業員をそのまま新しい
FM局に採用すること、FM東海が行ってきた勤労者の
ための通信教育講座を存続させること、などが
盛り込まれました。

ここに、約2年4ヵ月に渡って繰り広げられたFM放送
開局をめぐる騒動は一件落着の運びとなったのです。

社員集会で東海大学の松前重義総長から決着の
報告が伝えられると、集まった40数人の社員からは
安堵のため息が漏れました。

普通なら飛び上がって大喜びする場面でしょうが、
そのような気持ちにはとてもなれませんでした。
それだけ、社員の心にこの問題が重く圧し掛かって
いたのです。
入社3年目の私でさえそうでした。

しかし、やがて大きな喜びと明日への希望が
沸々と湧き上がってくるのを感じました。

長い戦いの後に訪れた勝利の喜びとは、このような
ものなのでしょうか。

1970年4月25日、多くの人々に親しまれた
FM東海は、約12年の歴史に幕を閉じたのです。
(前年12月19日の時点では、まだFM東京は
正式に開局しておらず、しばらくFM東海のままで
放送を続けていました)

続きはまた次回に・・・・

| 12:00 | コメント(1) | カテゴリー:田中穂蓄

コメント

田中さん、お疲れさまです。
この中ににゃんにゃんにゃんこ★さんのお誕生日が…(笑)
なるほど、FM東海の名前はなくなれど、その技術、スピリットは残った訳ですね!!
自分は、FM東海がただなくなったのではなく、発展的解消にホッとしました…

投稿者 ちなみん : 2008年10月26日 16:34

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